2008年4月5日(土)1:30〜
 第1回   喜連村史の会  於 傳了寺
 
 
         大阪府全志「喜連村」の項読み合わせ
         喜連村小字地図(改訂版)の検討
         どんなことが知りたいか「Q&A」づくり
 
 
大阪府全志「喜連村」の項
@「大阪府全志」再読再点検。
A念のため「東成郡史」も再点検。
Bコピーネタ探す。なければ平野図書館問い合わせ。なければ中央図書館で再コピー。
C村の全般につき概要報告のレクチャー準備(しかし対話の中で機に応じての解説とする)
D北村某家記に焦点化。字地図の全該当項目塗りつぶす。残余の不明地を調査・考証する。
E継体朝期からの喜連村史解明を意識化し、研究課題を明示化する。
Fいずれは古代史班、中世史班、近世史班、現代史班等時間軸によるチーム編成を伏在化。
 
喜連村小字地図(改訂版)の検討
G総ての字名掘り起こし(空間的研究課題)を最優先の課題として位置づける。
H能率という点でも、それ以上に全村運動化という観点で、効果的な調査の戦術を練る。
I期日を決めて手分けする。それぞれのエリアで見通しを立てる。エリア毎に意識のズレ、深浅あり。今は頭を揃えることに意を注ぐ。
J基礎力アップの後不均等を発展のエネルギーに転化していく(下手な村対抗意識、寺対抗意識を脱競争化していく)。理念的な模索を続ける。
 
喜連村「Q&A」
平等堤はどこに消えたのか
喜連墓地のお地蔵さんはいつからあるのか
喜連墓地はいつからあるのか
喜連にはなぜ神社が少ないのか
松山橋はなぜ松山橋というのか
なぜ杉山講の護摩焚きがあるのか
喜連にはなぜ蔵が多いのか
喜連の川に名前はあったのか
かっつらかいを流れていた川は何という川なのか
かっつらかいとは何の意味か
大和川の付け替えで喜連村はどうなったか
喜連村はどこから水を引いていたのか
北池、西池、南池はいつできたのか
江戸時代はもっとお寺があったのか
喜連にはなぜお寺が多いのか
お地蔵さんはいつからあるのか
地蔵盆はいつからあるのか
喜連村はいつできたのか
喜連川氏地名発祥説はほんとうか
喜連城はどこにあったのか
息長姫伝説を知っているか
喜連に遺跡はあるのか
喜連に古墳はあったのか
お姫様の井戸(お稲荷さんの井戸)を知ってますか
呉堂はどこにあったか
磯歯津
呉坂は
伎人堤はどこにあったか
喜連はなぜ喜連というのか
喜連にはいつから人が住んでいるのか
 
 
喜連村歴史マップ
 
 
全体の関係
@全エリアをカバーする現在の町会地図を揃える。
A各エリア(お寺)毎に「喜連村字地図」を元に全字地名を一斉に掘り起こす。
B要検討の地名は複数の証言を取る。
C正確な位置を確認し、現在の町会地図上に書き込む。→喜連村字地図第3版
D字地名にまつわる伝承を書き込む。→字地図解説ノート(初版)
E呼びかけ文を付けて、CとDをできるだけ早く配布し、読んだ人からの情報を集める。
FEを元に「喜連村歴史マップ」づくりを各お寺エリアで進める。
GFを元に喜連村Q&Aを作成する。
H各お寺エリア主催で喜連村歴史ウォークを数次行う。
I歴史ウォークで出た情報を整理しながら、例えば「喜連村歴史学会」(仮称)を開く。
J幅広い住民参加で「喜連村史」を編む。
 

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